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和歌山県、新宮市。神倉小学校の正門を出て、北に90メートル。小さな十字路を右に曲がって70メートル。国道42号線沿いを北に70メートル進んだところ。
はい。そこにあるのが、白い看板が目印の、「杢美」です。
どうもこんにちは。杢美スタッフの福井です。
みなさんは普段、メートルとかセンチとかキロとか、長さの単位を何気なーく使っていると思います。しかし実は、「長さ」一つにしても、掘り下げていけば、かなり深ーい世界が広がっているんです。
現代の日本では、「m(メートル)」の単位を使うことがほとんどだとと思いますが、
少し視点を変えると、ゴルフの飛距離を測る「yd(ヤード)」、サーフィンで波の高さを測る「ft(フィート)」、海外ブランドの服や自転車に使われる「in(インチ)」など聞き馴染みのないものも多くあります。
みなさんが一番よくつかうであろう、「cm(センチメートル)」も、もちろんのことながら、もともと日本にあったものではありません。
メートルという単位は17世紀のフランスで単位統一議論によって作られたもので、地球の北極点から赤道までの子午線の一千万分の一を「1メートル」と定められています。
では、それができる前から日本で使われていた長さの単位とは、どんなものだったのでしょうか。
そう、それが、「尺」「寸」「分」「厘」というやつです。
もう、日常生活ではあまりつかうことのない単位ですが、寺社仏閣の建築や、在来工法の家を建てるとき、和食器の陶芸をするときなど、目を凝らしていけば、まだまだ、この単位を使うことは多くあります。
ちなみに、この「尺」も、もともとは日本にあったものではなく、大宝元年(西暦701年)に、唐から入ってきたものだといわれており、地域や用途、時代背景によって長さが異なります。
• 高麗尺に由来し、土地の計量などに使用されていた、「大宝律令の大尺 」(約35.6 cm )
• 唐尺もに由来し、平安時代以降はこれが一般的になる、「大宝律令の小尺 」(約29.6 cm[小尺一尺二寸=大尺一尺])
• 永正年間に京都の指物師又四郎が定めたとされ、大工が主に用いた、「又四郎尺・鉄尺 」(約30.258 cm)
• 徳川吉宗が紀州熊野神社の古尺を写して天体観測に用いたとされる、「享保尺・竹尺 」(約30.363 cm)
↑これは、熊野の人間としては興味の湧くところですね!
• 伊能忠敬が測量のために又四郎尺と享保尺を平均して作ったもので、明治度量衡取締条例における曲尺の根拠とされた、「折衷尺 」(約30.304 cm)
• 明治度量衡法で、10/33mと定義され、又四郎尺、享保尺、折衷尺などを勘案して明治期に定められた、「曲尺-かねじゃく-」(約30.3030 cm = 約303.030 mm)
通常は「尺」といえば曲尺のことをいう。
• 明治度量衡法で、25/66
mと定義され、主に呉服について用いられる、「鯨尺-くじらじゃく-」 (約37.8788cm = 約378.788 mm[曲尺の1.25倍。])
六尺褌や三尺帯といったときは鯨尺の長さのことである。またタオルなどの織物の場合、織機に使われる筬の鯨尺1寸(約37.88 mm)当たりの本数によって密度が決められる。
• 主に呉服について用いられ、鯨尺の一種である、「呉服尺-呉服ざし-」(約36.4 cm[曲尺一尺二寸])
一説には鯨尺を五分短くしたところから出たともいう。
そのほかにも、朝鮮由来、中国由来のものを合わせると、まだまだ数えきれないほどたくさんあります。
近所の神社や、おじいちゃんのふるーい家などを調べてみると、「なんでこんなに中途半端な長さなの?」と思うものを見たことがあるんじゃないでしょうか。
もしかするとそれは、はるか昔に、太古の人々によって作られた、お宝なのかもしれませんよ。
職人やものづくりの世界を見ていると、今では見ることがないような、知識や技術が数多くあります。
寸法、指矩、規・矩・準・縄、木目…。
今後また、このページの福井陽司のターンでは、そのへんの深掘りしたようなお話が出来ればなと思っていますので、ぜひぜひ、チェックしてみてください。
それではまた!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました^_^。